キュレータという言葉をご存知でしょうか?
キュレータとは?
キュレーター(英語: curator)とは英語由来の外来語である。英語の元の意味では、博物館(美術館含む)、図書館、公文書館のような資料蓄積型文化施設において、施設の収集する資料に関する鑑定や研究を行い、学術的専門知識をもって業務の管理監督を行う専門職、管理職を指す。(出典:Wikipedia)
わかりやすく言えば「目利き」ですね。
なぜこれが重要になるのか?
Information Overload(情報の洪水)の時代
この重要性は10年ほどから気づいていました。
当時はちょうどネットでのビジネスが始まったばかり。
Aribaba.comが始まり、売り手と買い手が直接つながるようになった時代です。
ミドルマン(問屋)がなくなる、中抜きが進むと言われました。
ただし、私はこの時、すでに疑問を感じていました。なぜか・・・
時代はさらに1990年後半に行われた「NRIワールド」での私の講演までさかのぼります。
この時私の提唱したものはネットの進展により起きる「Information Overload」情報の洪水についてです。当時はまだやっとネットでものが買えるようになった時代です。
つまり、ネットの進展により起きるのは、ものすごい数の情報が一気に押し寄せてくることです。これはいわば「洪水」のようなもの。
その時、必要なことはなにか?
「何が重要なのかを見極める力」
です。
まさに「目利き」。
つまり、買い手と売り手を単につないだだけでは、完全ではないということです。
ご自身のことについて考えてみるとわかると思います。
ネットを駆使することでいろんな商品に出会えるようになりました。
でも、本当に自分の欲しいものが見極められますか?
実際に買ってみたいとわからないというのが正直なところでしょう。
口コミ?評価?
なので、いろんな「口コミ」や「評価」を参考にしていませんか?
あると見ると思います。やはり良い意見があると「買おう!」と思う人は多いと思います。
逆に最近ではショップの方もそれをわかっていて、「コメント書いてくれたら、値引きしますよ!」というところまで現れてきています。
また、ある掲示板では、メーカの人間がなりすまして「良い評価」を書いていたりと・・・
つまり、この「口コミ」「評価」が本当に正しいのかどうかが次の課題になります。
そこで「キュレータ」の出番です。
その分野について長けている人たちが、コメント・評価するというもの。
ある意味、評論家でしょうか?
これに似たものがすでにあります。
「アルファブロガー」とか「カリスマ◯◯」とか。
ある分野に長けた人たちです。
どの分野にもこの人達が絶対にいます。
キュレータの必要性?
なぜキュレータが必要となるのか?
それは、ほとんどの人たちが物事を正しく評価できないからなんですね。
もし、評価できるとしたら???
まずファッション雑誌は存在価値を失います。経済学者や、政治評論家と言われる人たちも職を失うでしょう。
物事を正しく評価するというのはものすごく難しいわけです。
膨大な情報を取得し、それを整理して、方向性を見極め、伝えるわけですね。
この専門家のコメントが「売買」を左右していると言っても過言ではないと思います。
つまりオンラインでの売買の局面では必ずこのキュレータが必要となります。
先の話に戻りましょう。
オンラインで売り手と買い手が結びつく。一見良さそうに見えます。
ですが、実際にECサイトを見てみるとわかると思いますが、
どれが良い商品かわからないんですね。
私も失敗したことがあります。
超格安のドライブレコーダを買ったのですが、これ、なんと中国製のコピー商品。
ものの数ヶ月で壊れました。
きちんと商品を見て、客観的に評価する人がいないと怖いわけです。
きちんとしたショップもありますが、売れれば良いというショップも多いわけですね。
だからこそ、客観的にものを評価するキュレータが必要なわけです。
キュレータの先?
ですが、私はこの先がさらにあると見ています。
何かというと、「人の価値観はそれぞれ異なる」ということ。
つまり、価値観が異なれば、評価は異なるということ。
「絶対的な評価」はありえないんですね。
(金銭的なものであればありうるかもしれませんが、通常のサービス、特に「感性」が絡むものはそうとは言い切れません。)
となると何が起きるか?
自分の価値観と近いキュレータを求めるわけです。
ある意味Followerですね。
そこまで来ると、人の価値観をどう結びつけるか?というところまで来るわけです。
自ずとどういう仕組が必要になるのか・・・・
私の視点はそこまで来ています。
なぜこの話をしているかというと、O2Oやらオムニチャネルやら言われていますが、その行き先にはこの話が必ず出てくるからです。
人の購買行動には必ず必要であると感じているからです。
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